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こんばんわくわくめーる ハッピーメール


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ワン切り
私が16歳の初夏、母が亡くなりました。
長いがん闘病の末、深夜の病院で。
もう死を待つしかないと医師に言われてから半年以上経っており
告知されたとき泣きはらしたためか、涙は出ませんでした。

遺体が帰ってきた日の夜、
仏壇のろうそくの火を絶やしたくないと思い、仏間に安置してある母の遺体の
そばにくっついて、こうこうと光る蛍光灯のもとで文庫を読みながら
徹夜をしていた私。

しかし昼間のバタバタの疲れに勝てずにうたた寝してしまいました。
目を覚ましたら蛍光灯が消えてました。勿論ながらろうそくも消えてたけど…
母が「寝なさい」と言っているという事にしてその日は寝ました。

その日から、毎日非通知のワン切りが来るようになりました。
私と兄の携帯に、決まって早朝2~4時くらいの間に。
出られたら母さんとおしゃべりできるのかなぁーなんて兄と話して
笑い話にしました。



火葬の日、母の実家に母の姉(私の伯母さんですね)ふたりを残して
みんなで火葬場へ行きました。
火葬が終わり骨をひろい、家へ帰ると、伯母さんたちが居間で不思議そうな
顔をしていました。

なんでも、ふたりで留守番をしていたら、玄関から人の声がしたんだとか。
それが亡くなった母の声にとても似ていて、でも微妙に何を言ってるのかは
聞き取れなかったんだとのこと。

不思議に思ってふたりで玄関へ出てみたら玄関の扉が開いていて
でも誰もいなかったのだそうです。
そしてその時間が丁度、母を火葬している時間と合致しているのです。
きっとお別れの挨拶をしに来たんだね、とみんなで話しました。
母はいつも明るく元気で優しくて、律儀な人でした。

火葬の日を境に、私と兄の携帯へのワン切りはぷつりとなくなりました。
それに気付いたとき初めて、亡くなってからのことを思い起こし
母は火葬されて天に昇っていくまで
私と一緒にいてくれたのかなと思いました。
母が亡くなってから泣いていなかった私は、そのとき初めて泣きました。
さみしくなって泣きました。

ホントに些細なことですが
このスレを読んでたら思い出しちゃったので、吐き出させてもらいました。
長文スミマセン





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戦友
本日、無事退院。
内視鏡を用いての胆嚢除去手術が問題なく無事終わりました。

まあ、4人部屋だったので寝られないとか、看護士さんの動きにイマイチ無駄が多いとかはともかく。

手術が無事すんだ当日は痛くて痛くて堪らなかった。
翌日から、動け動けと急かされて歩いたのだが、切った場所はもちろん、腹の中まですごく痛かった。
歩くと内臓まで直接響くような痛さがあった。
腹は痛くなくても探られると痛いから、痛い腹を探られたら当然痛いわけで・・・とくだらんことを考えながら、昼飯後にうつらうつらとしていたら、面白い夢を見た。

なんか、技師っぽい女の人が
「今まで一緒にやってきた仲間が急に消えたから凄く混乱した。」
少し怒った様子でワシに向かって言ってきた。
ワシはなんか判ったようなわからんような話だったけど、心底申し訳ない気分になったので
「すまなかったねえ」と謝った。
その技師っぽい人は、
「まあ、やっと今混乱が収まったから、もう大丈夫だと思うけど結構大変だったんだから。これからはきちんと体を気遣ってよね!」
と少し説教めいた顔になって言ってた。
「ああ、気遣うことにするよ。」
「じゃあ、よし! それじゃ!」
と最後は笑顔で去っていった。

で夢が覚めたら、腹が痛かったのが嘘のように消えてた。
ああ、そうか、35年も一緒にやってきた仲間が急に消えたらそりゃ混乱もするし建て直しも大変だっただろうなと彼女の困惑がよく判った。
まあ今後彼女を困らせることの無いように生活しようかと思う。




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対話
胎児が話しかけてくる。
最初は職場の妊婦さんの子どもの性別当てだった。
「男の子だよ」って言ってるイメージしかなくて、
生まれたら本当に男の子だった。
それから胎児は話かけたら、ちゃんと返事してくれるのがわかった。
反対におしゃべりな子は話しかけてくる事もある。

甥っ子は受精して数週間でわかった。
義理の姉は仲良かったし、不思議な話を信じてくれる人だったので
笑いながら受け止めてくれた。

それから、たくさん甥っ子の夢を見た。
安定期になって楽しそうに買い物する義姉(2ヶ月目)
「生まれたよー、男の子だよー」と朝起こされて母から報告される夢(4ヶ月目)
無事生まれた夢(6ヶ月)

前日まで親と大喧嘩してたのに、陣痛始まったら
当たり前の様に母と二人で病院行って義姉の腰をさすってました。
朝に報告される夢を見てたので生まれるのは
深夜だと思ってたら、ホントに深夜だった。
病院行って2時間で分娩室へ。2時間後出産。超安産。

生まれてからは、おむつがすぐにわかる。
喉渇いたー、暑いーもなんとなくわかる。
義姉も信じておむつや布団をチェックしてくれる。

凄く幸せです。



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兄との生活
私が幼い頃、母兄私の3人で仲良く暮らしていまた。しかし兄が14歳になる頃母
が事故死してからは親戚をたらい回しされ、私はまだ4歳でその時の記憶はほと
んど無いのですが兄はかなり肩身の狭い思いをしたと言っていました。

我慢ができず兄は家を飛び出し幼い私は一人取り残されました、親戚の家では初
めての女の子でまだ小さかったのもありかわいがってもらったのですがそれでも
兄のいない寂しさは今でも覚えています。
1年ほど経った頃兄が私を迎えに来ました、住み込みで働ける所を見つけてきた
のです。

親戚と揉めたりもしたが私は兄を選び兄妹二人の貧乏生活が始まりました。
と言っても私は事の大変さが解っておらずいつもわがままを言い兄を困らせてい
ました小学校に上がる時ランドセルを譲ってくれないかと中学生の家に行って町
中を必死に探してきてくれたのに、回りの子と比べ新品じゃないとごねた事もあ
りました。

人形が欲しい、服が欲しいとだだをこねても困って笑うだけで私を叱らない優し
い兄が私が靴を万引きしたときはすごく叱りました。一時兄と気まずい時があり
ましたが事件から3日後玄関に新しい靴がおいてあるのです「やりくりすればこ
れくらい買えるんだからな」と言うと仕事へ出って行った兄、こんなかわいらし
い靴をどんな顔で買ったのやらと想像して笑って泣いた。それからは私はわがま
まを言わず進んで兄の手伝いをしました。高校へ行かず働くと言ったは久々に兄
と喧嘩になったがガンコさに負けて高校へ進学、そして卒業。
生活もたまに外食するくらい余裕が出てきた頃残念な事に兄が事故死しました。

散々泣いて泣いて、なかなか立ち直れなかったのですが素敵な男性と出会い支え
てもらいやっと立ち直れました。その男性と結婚が決まり結婚式前の夜、兄がや
ってきたのです「お前が結婚か~」とのんびりと話し出しました、その時私は
何かの催眠術にかかった様に動けずしゃべれなかった、本当は大声で泣いて抱き
つきたかったのに。「あのな、今日は謝りに来たんや。お前が4つの時一人置い
ていった事、なーんにも買ってやれんかった事…他にもいっぱいあるんやけどな、
お前がわがまま言わんくなったとき俺はちょっとつらかった、高校へ行かんと言
った時本当はこっそり泣いてんぞ、不憫で自分が情けなくて」
私はぽろぽろ涙を流しながら「何で謝るん?私の方がいっぱい謝らんなんのに…
ランドセルありがとう、制服も、学費も…靴今も大事に持ってるんよ…いっぱい
迷惑かけてごめんね」心の中でそう言うと兄に聞こえたのか笑ってゆっくり消え
て行った。

その日の夜は昔の夢を見ました。住み込みのボロアパートの前で兄と雪だるまを
作っていました、母兄私の3つの雪だるまを楽しそうに作っているとこのころも
う亡くなっているはずの母が現れ兄の手を取って「じゃ行って来るね外は寒いか
らお家にはいってなさい」と私に笑いかけました、私は何の疑いもなくうんと言
うと走ってアパートの階段を駆け上がりました後ろから兄が声をかけてきました
「おい、お前の事迷惑や何て思ったこと無いぞ。後、先に死んですまんな」
振り返った瞬間目が覚めました。

起きて号泣したせいで顔がパンパンに腫れた花嫁になってしまって本当は結婚式の
写真は見たくないのですが何処かに兄が写ってるのでは?と何度も写真を見たもの
です。

今日は結婚記念日だったので思い出してみました。長文駄文におつき合いいただき
ありがとうございます。





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長い旅
冬の終わりの静かな夜、スペインはマドリッドの巨大電波望遠鏡が、ザー
ザー乱舞する雑音の中に、ある「生命」からのかすかな信号を探し出した。

信号の方向は牡牛座。「生命」はパイオニア10号宇宙探索機。30年前に
母なる地球を離れ、宇宙開拓史上初めて危険な隕石帯を無事に通過し、輝
く雲海をかすめながら初めて巨大な木星の近接観測をした。
そこで木星の強力な引力を使って時速13万キロに加速、以来宇宙の果てに
向けて延々と旅を続けている。
パイオニア10号は現在地球から78AU(1AUは太陽と地球の距離)の
地点にあり、時速約5万キロで太陽系を離れて行く。 パイオニア10号の
設計寿命は2年だった。
それが30年後の今でも生きている。

◆主人を見つけた子犬のように
5年前プルトニウム電池の出力低下とNASA(米航空宇宙局)の予算削
減でパイオニア10号との接触は打ち切られた。
光ですら11時間かかるこの距離では太陽も夜空の星のひとつに過ぎない。 
母なる地球の方向も分からない。接触が打ち切られて以来、パイオニア10
号は地球から送られて来るはずの強力な電波を待ちわび、必死に耳を傾け
ていたに違いない。

再びパイオニア10号を探し出すには半年以上かかった。地球から強力な電
波を送り続けた。それをやっと聞きつけたパイオニア10号は大喜びでその
方向へアンテナを向け、集めた観測データを一生懸命送って来た。パイオ
ニア10号が宇宙の向こうで主人を再び見つけた子犬のように喜んではしゃ
いでいる姿が見えるようだ。
パイオニア10号との接触は今後も続けられる。宇宙からの極めて弱い信号
を雑音の中から聞き分ける研究にパイオニア10号が使われることになった
からだ。


◆長い旅の終わり
パイオニア10号には金メッキの銘板が取り付けてある。人類の男女の姿と
この機械がどこから来たのかの情報が刻まれている。この銘板をデザイン
したひとり、6年前に62歳の若さで亡くなったカール・セーガン博士がこ
の中に生きている。
パイオニア10号は30万年後に地球から約10光年離れたロス248番星を
通過する。太陽のたった17%の大きさの星で、生命を宿す惑星を従えてい
る可能性は少ない。
その後パイオニア10号は限りなく永遠に近い長い孤独な銀河の旅を続ける
だろう。この旅が終わりのないものとは信じない。やがて銀河の果てで、
ある文明と遭遇し、人類からのメッセージを届けるだろう。その惑星の博
物館に大事に、大事に収められた時、パイオニア10号の旅は終わるのだと
思う。その惑星の子供達に見守られながら。

パイオニア10号は単なる機械ではない。我々人類の一部である。やがて地
球上の人類が滅びても、我々は永遠にパイオニア10号の中に生き続けるの
だ。冒頭でパイオニア10号を「生命」と呼んだ理由がこれで分かっていた
だけたと思う。





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